人工死産の体験談|妊娠13週、前全脳胞症と診断された赤ちゃん

はじめに

私がこのブログを書く理由

私は高齢出産、子宮筋腫合併妊娠で入院したり早産で出産することになったり、自分も赤ちゃんも時々トラブルがありながらも今は楽しく育児をしています。

ですが、今回の妊娠は3回目
1度目は赤ちゃんの脳が育たない病気(前全脳胞症)で15週で人口死産しています。2度目は流産です。

初めての妊娠ではみんなと同じように何の問題もなく出産できるのは当たり前!って思っていました。まさか赤ちゃんに異常が見つかり妊娠が継続できないなんて考えてもいませんでした。

毎日悲しくて、やりきれなくて、どうすることもできず入院中も退院後もずっと泣いていました。

だけどその時に少し救われたのが同じような経験をした方々のブログでした

入院中、退院後にして良かったこと、

私も赤ちゃんと向き合ってしっかりお別れをできるように準備することができました。後悔しないための行動ができたのもブログを読んだおかげでした。

同じ経験をした方へ寄り添いたい気持ちをずっと持ちながら何もできず何年も過ごしていましたが、ようやく整理して書くことができました。このブログが誰かに届けばいいなと思います。

前全脳胞症とは

胎児の脳の発達に関する重い先天異常のひとつです。

赤ちゃんが成長する過程で、本来なら左右に分かれていくはずの大脳半球が分かれず、脳の真ん中にあるはずの構造が欠けていたり、うまく作られていない状態です。
脳だけでなく、顔や頭の形などにも異常が見られることがあります。

重症度が高く、生まれても生存が難しいケースがほとんどと言われています。

妊娠13週での診断

妊婦健診での異常指摘

3度目の妊婦健診、おじいちゃん先生が真剣にエコーを見つめていました。

赤ちゃんの脳に気になる箇所がある。ここではちょっと判断がつかないから大きい病院で一度見てもらってと突然言われ何が何だかわかりませんでした。
その時は病名を言われることはなく、治る病気かもしれないと思っていました。

医師からの説明と診断結果(前全脳胞症)

紹介状をもらって行った総合病院。

怖かったのでお母さんと一緒に行きました。結果は前全脳胞症という聞いたこともない病名でした。

「今お腹の中で赤ちゃんは元気に生きているけれど、まずこのまま出産までお腹で育つことは難しい。奇跡的に出産までできたとしても数秒で亡くなってしまうケースがほとんど。見た目の奇形もでやすく目が一つの場合もある。」

と告げられました。

どうすることもできない無力感と悲しみでいっぱいで診察室を出て涙が止まりませんでした。

人工死産を選んだ理由

色々な説明を聞いた後、先生に「母体保護法」に基づき残念ですが今回は諦めましょう。と言われました。ただ、はい。と言うことしかできませんでした。

もしドラマで見るような「これからどうしますか?」と選択肢を与えられたら私は選びきれなかったと思います。

そのまま入院予約もいれ、妊娠15週の時に人口死産をすることになりました。

それでも出産までの数日、本当にこれでいいのか?今お腹の中で気持ちよく生きている赤ちゃんを無理矢理お別れするようなことしてしまっていいのか?何があっても最後まで育てたい。そう思ってしまいました。だけどできませんでした。ごめんね。

入院直前、生まれたらいつか行きたいなと思っていた水族館に一緒に行きました。一緒にイルカショー見たかったね。だけど今日最後に一緒に来れて嬉しかったよありがとう。

人工死産の流れ(私の体験談)

入院から処置の流れ

入院は4日間。

1日目、2日目
ラミナリアの本数を増やしながら子宮口を広げていきます。生理痛のような腰の重みがありました。

3日目
促進剤を打ち出産。
あまりこれからどうなるかの説明もなく痛くなったらナースコールで呼んでくださいと言われてました。

お腹はそこそこ痛かったのにそれが陣痛と分からず、ちょっと我慢していたらベッドで破水をしてしまい、おそらくそのまますぐにオムツの中で産まれてしまいました。

きっと優しい子で出産が大変にならないようにスルッと出てきてくれたんだと思います。
車いすで分娩室まで行き処置。

胎盤が出ずにお腹にあざができるほど押されて、それでも出ず掻き出したのが1番痛かったです。
夜は赤ちゃんに会うことが出来ました。

4日目
退院
最後は可愛いママでいよう!と思い自分を奮い立たせ久しぶりにメイクをしました。(そうでもしないと退院して日常に戻るスイッチが入らなかった)

帰りは配慮されて裏口から退院しました。小さな木の棺桶に入った赤ちゃんと一緒に帰宅しました。

気持ちの整理。お別れの時間

気持ちの整理のためにも、後悔しないためにも、赤ちゃんとちゃんと向き合って大好きを伝えたくてやったことです。

母子手帳への記入

この子がちゃんとお腹で成長してここに居たんだってのを書いてほしくて、母子手帳に体重や身長をかいて欲しいと伝えました。(もしかして言わなくても記入してくれたかもしれないですが、あまりにも小さかったので書いてもらえない可能性もあるかも?と思い伝えました。)

産まれた後の赤ちゃんに会いたいと伝えました

3日目の夜、看護師さんが赤ちゃんに会わせてくれました。
すごく小さかったけれどちゃんと赤ちゃんでした。一生懸命生きてくれてありがとう。

性格上、看護師さんの前では強がってしまい気丈に振る舞ってしまったんですが、部屋に戻った後涙が止まりませんでした。一生分泣いたんじゃないかってくらい泣いてしまいました。

赤ちゃんに手紙を書く

出産した日、赤ちゃんに手紙を書きました。少しの間お母さんにしてくれてありがとう。大好きだよって気持ちや色々な想いをたくさん書きました。

小さなぬいぐるみ

本当は服を着せてあげたかったんですが小さすぎるのと、時間的に間に合わなかったので家にあった布切って本当に小さなぬいぐるみのようなものを作りました。

火葬は自分で手配すると病院に伝え火葬場で最後のお別れ


手紙とぬいぐるみは棺桶に一緒に入れました。


これらは同じつらい経験をされていたママたちのブログから参考にさせていただきました。しっかりお別れを伝えられてやってよかったなと思いました。

ただこれは私の経験なので、週数や状況によっては難しい場合もあると思います。その時にできることで、もしできなくても気持ちだけども大丈夫ですよ。

退院後の心の変化

喪失感と向き合う辛い日々

・入院中、偶然知っている人が3人も同じ病院に出産のため病院にいました。
みんな普通に出産を終えて幸せそうでした。
一瞬見てしまっただけですが、かなり落ち込みました。

・仕事復帰後の一発目のお客さんは妊婦さんでした。接客業だったのに必要な問いかけ以外何も話せませんでした。
・また、同じ日仲の良い常連さんに3人目の妊娠を告げられました。仕事中なので気丈に振る舞いました。

普通に生活しているだけなのに信じられないくらい心がえぐられました。
家では毎日泣いていて、大好きだったペットも可愛がれないほどでした。

相手の良かれと思って言ってくれた言葉にも、悲しみや苛立ちばかり感じてしまい、深い悲しみがずっと続きました。
神様って意地悪?何で私だけ?みんな何事もなく出産してるのに。そんなことばかり考えていました。

そんな時も同じ経験をされた方のブログを読んだり、天使になった子供たちの本など読んでいました。

だいぶ時間が経ったころ、【悲しみや罪悪感は消えることはないけれど、赤ちゃんのためにも楽しく生きなくちゃ】と少しずつ思えるようになってきました。

きっと近くにいてくれてるから頑張ろう。や、思いっきり楽しんで生きて私もあの子の分まで人生謳歌しなくちゃ!生きる糧になりました。

最後に

同じ経験をした方へ伝えたいこと

今もしかして、とても辛い中にいるかもしれません。

辛いですよね、悲しいですよね。なんで他の人は何もなく赤ちゃんを産めているのに自分だけこんなに辛い思いしなくちゃいけないの?って。

私も今でもわかりません。だけどお腹に来てくれた赤ちゃんはきっととっても純粋で本当に大好きなママのところにきたかったんだと思います。少しの時間でも一緒に過ごせた時間ママにしてくれた時間は宝物の時間です。

赤ちゃんもきっとそう思ってくれているはずです。

このブログが少しでもあなたの心が軽くなったり、赤ちゃんと向き合う時間の手助けになれていれば幸いです。

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